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2010年04月04日

網走と紋別、ブラキストンの記録

オホーツク地方を探検したブラキストン、
明治初年の記録(Japan In Yezo)~紋別にも来たブラキストン2


市指定天然記念物「ポンモイ柱状節理」
 英国人のブラキストンは、宗谷で難破した英国艦ラトラー号の調査を新政府から依頼され、明治2年に、自己所有船の「あきんど号」で函館を出港、道東の浜中に上陸すると、そこからオホーツクの海岸沿いに北上し、宗谷へ至る。
 網走では、『この辺りの海岸は、実に美しく、岬が北の方へ突き出して、網走沖に小さな小島が見える。網走港に着く手前に、灰色の変わった断崖、柱状節理がある。』と観察している。
 紋別では、この地域の番屋の差配人と船長の話として、『オホーツク沿岸は、冬には沖合い3~4里は凍るけれども、宗谷海峡は、日本海からの暖流による海流の速さと暖かさで凍らず、あの大量の氷は、樺太沿岸で結氷したものが、冬の北風によって流れ来るもの。』と聞き取りしている。


市史跡「紋別場所・又十番屋御用所跡」と流氷来る現在の紋別港


















第172回 ブラキストンのオホーツク探検    北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/


  

Posted by 釣山 史 at 08:54Comments(0)オホーツクの歴史