さぽろぐ

文化・芸能・学術  |札幌市手稲区

ログインヘルプ


2008年08月04日

網走黎明期の名望家

~網走管内黎明期の実業・名望家一覧                                                           遠軽町郷土資料館蔵
 さて、今回は網走地方の開発が進み出した明治中期の名望家を掲載した「開拓指鍼北海道通覧/明治26年」と「北海道實業人名録/明治27年」を紋別を中心に紹介する。
 
◆開拓指鍼北海道通覧
 ①町村惣代人
*酒造・笛田茂治は「茂作」の誤りで、笛田とは野上(六号)駅逓の初代取扱人。
*旅人宿・島竹清作に注目。
 ②紳商漁業家農業家
*北見町(現網走市)の岩田宗明は「宗晴」の誤り、のちに斜里で大鮃漁を行って管内同漁の先鞭となり、さらに渚滑へ移って開拓を進めながら製軸所を開設した。北海道議会議員。
*高野番屋、紋別村の高野徳平に注目。
*ナオサ子(ナオザネ)の徳弘正輝に注目。
◆北海道實業人名録
 ①紋別村
*龍田和七は藤野番屋の関係者。
*丸三商店は現在の岩倉商店のはじめ。
*高野番屋の高野支店に注目。
*久保田幸助は藤野番屋の関係者で、これが藤野駅逓のこと。このとき島竹は単なる宿屋であったことが判る。
*内外科醫・古屋憲英に注目。
*第六号、七号、八号の駅逓に注目。第六号駅は笛田から角谷政衛に替っている。
*幌内村・田中支店は後の紋別の田中商店。
 ②網走村
*後に藻別村(現紋別市)にも建設された山田製軸所が見える。
*水産業・森田辰蔵は紋別最初の自由民漁業者。のち藤野番屋・紋別漁場の差配人兼初代紋別戸長となったが、事故あって解任され網走へ移り、当時の開拓使の根室管轄一円で最初に漁業補助を受けて水産業を営み、何かと藤野家と争った。網走町議会議員。









































































































































第71回明治開発の先駆者たち
北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/

































  

Posted by 釣山 史 at 22:22Comments(0)オホーツクの歴史