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2008年06月13日

もんべつのホタテ

ホタテ貝(帆立貝、海扇、車渠)

 一説に紋別郡では明治13年頃に盛んにホタテを漁獲したと云うがナマコ漁での混獲によるもので、専業的にホタテ漁が開始されたのは同25年であり、初期のホタテ漁の中心は小樽方面から廻航した石川県人を中心とする北陸衆であった。
 こうしてホタテ漁は北見地方を代表する一大漁業となったが、当初から乱獲などにより好不漁と禁漁を繰り返していた。昭和9年にサロマ湖で始められた採苗試験は同11年から大掛かりなものとなって、これが管内に「地まき」されたのがホタテ貝の増養殖事業の始まりと云われる。 北見國紋別郡内漁業實況/北水協會報告第七拾七號/明治26年
 この増養殖は紋別では昭和49年、50年と禁漁にして稚貝を本格的に放流し、同51年からは4年毎の輪採制として再開されて、このようにホタテ漁は次第に増加・安定した。
 標準和名は「ホタテガイ」と云いカキ目イタヤガイ科に属し、漁期は3月中旬から11月いっぱいくらいで、「八尺」と呼ばれる「けた網」による曳き網漁が行なわれ、大正の中頃には既に「紋別八尺」が広く知られていた。それは現在でも船のアンカーで有名な小樽の一鉄鉄工所が、爪の長い鉄製5本爪の八尺桁網を開発したのに始まる。
 輪採制では前年から中間育成した稚貝の「地まき放流」の前にヒトデを駆除し、「残ざらい」と云って残った親貝を漁獲して、異なった年齢の貝が混ざらないようにする。
 貝は黒っぽい色が表で左、白い方が裏で右、ちょうつがい側が背中で口の開いた方がお腹となり、外敵が近づくとジェット噴流でお腹側に大きく飛び跳ねる。貝殻には年輪があって年齢が分かる。
 そしてホタテ貝は「タウリン」を多く含み、血圧の安定や肝機能の回復に良いとされ、また、視力低下の予防にも効果がある、たいへん健康に良い食べ物である。

 北海道漁業冩眞帖/昭和12年

第58回ホタテのお話し(第2回の続き)

北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/  

Posted by 釣山 史 at 20:12Comments(0)紋別の歴史