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2008年02月11日

網走郷土博物館の新発見!

~網走郷土博物館の「葛籠」と「高札」

〈網走市史〉
 
 同館の2Fの近現代史コーナーには「根室縣 網走郡役所」と朱書きされた「葛籠」がある。この「県」とは明治15年2月に開拓使が廃止されて3県としたもので、同19年1月には再び北海道庁に統一された。この間、根室県の開庁は明治15年4月で、郡役所の新築は同18年9月と云い、「葛篭」はその時のものと推測されるが、一説には郡役所の開庁当時からとも云う。
 さて、ここで注目したいのは、その隣りに展示される「高札」で、日焼け著しくかろうじて「太政官」と読み取れるそれに、もしやとの期待から知人らの協力もあって次ぎのように解読に成功した。
 ◆五つの禁令
 その高札は次のとおりの「五榜の掲示」の第一札と判明、これは「五箇条の誓文」が公布された翌日の慶応4年3月15日に公示された新たな政府の基本的な禁令で、この第一札は『五倫=守るべき5つの道理、鰥寡孤独廃疾ノ者ヲ憫ム=寄辺のない者への憐み、殺人・放火・窃盗の禁止』を説いたのもだった。                                  提供:網走市立郷土博物館                                  


 〇五榜の掲示
  第一札                                    
   一 人タルモノ五倫ノ道ヲ正シクスヘキ事         
   一 鰥寡孤独癈疾ノモノヲ憫ムヘキ事
   一 人ヲ殺シ家ヲ焼キ財ヲ盗ム等ノ悪業アル間敷事
                        慶応四年三月


 維新前後の新政府の施政も、わずか半年後には蝦夷地に上陸した旧幕軍のものとなったが、この間には政府の平井幸一郎なる者が網走場所を受領して引き継いだと云い、高札はこのときのものと思われる。
 新政府によるこれら「五箇条の誓文」や「五榜の掲示」などは、佐幕派の大名領では掲示されず、また戊辰の役では破棄されたりもしたが、最奥の北見へは事実上の榎本旧幕政権も及ばず、また実際には場所請負人の経営下にあったから、この高札も廃棄されずに保存されたと考えるが、当時の混乱した状況を鑑みたとき、たいへん貴重な資料である。         第9回オホーツクの明治維新

北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/


                                                 

Posted by 釣山 史 at 10:46Comments(0)オホーツクの歴史