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2008年02月07日

スキーとスケート、ママさんダンプの始まり

昔の暮らしと遊び~あいすパラダイス語りのじかんから 子供の体験学習(紋別地区社会教育推進協議会より)
~子供向け、昔の冬のお話し   
                                
 -はじめに- 
〇冬の氷だし
 ・紋別の流氷祭りの「氷柱」はどこから持って来てるか分かる?
 今はゴルフ場のところにある通称「氷池」で作っている。昔(昭和40年代)は流氷も多く、港からもたくさんの氷が切り出されていたから、やっぱり今より寒かったのかな。
〇毛がに拾い
 ・毛がに拾いって分かるかな?
 皆さんのおじいちゃんやおばあちゃんが子どもだったころ、今から何十年も昔のころは、2月から4月の流氷の頃に、「毛がに」がうじゃうじゃ砂浜に上がって来て、1斗ガンガンでひとつ2つとたくさん獲れた。そんな時代もあったんだネ。

①昔の冬の暮らし
ア)除雪のおはなし
 ・ジョンバって知ってる?
 「ジョンバ」は北海道だけのことばで「雪なげ」のこと。古くは竹や木で作られていて、今の「雪なげ」の原型は旧国鉄(今のJR)のひとが考えたらしい。そして「雪押し」も雪の多い地方の国鉄でよく使われていたものが、昭和30年代後半に一般家庭にも広まった。ママさんダンプもずいぶん昔からあったんだネ。
 ・除雪のお話し
 北海道の道路の除雪の始まりは、明治9年(約130年前)に「屯田兵村」において「除雪当番心得」というきまりができ、ひとが2人通れるくらいの道幅を5人一組でふみ固めることにしたことから。兵隊さんの雪中行進が除雪の始まり。それから明治19年にはロシアから「馬そり」が輸入されると、それを三角に工夫して、今の除雪車のように雪をかくようになった。                 (上藻別駅逓所・鴻之舞資料館)
イ)昔の暖房
 ・ストーブの始まりは宗谷と紋別から
 今のようなストーブは江戸時代の箱館奉行に頼まれた弥五郎さんがイギリス船へ見学に行き、設計したのが始まり。初めは箱館で作られ蝦夷地(北海道)の各地に送る予定だったがなかなか必要な数ができないので、それで宗谷のアイヌ人の鍛冶屋さんが作ってみたところたいへんうまくでき、そこから網走や斜里、紋別に配られたのが始まり。
 ・ダルマストーブって何?
 ストーブには石炭用と薪用があって、「ダルマ型」や「タコ型」、「小判型」など面白い名まえのものが多い。このうち「ダルマ型ストーブ」は明治の初めころにアメリカから輸入されて、駅や学校などで使われた。明治の中ごろからは列車の中でも使われて、いろんなものを焼いて食べながら、おしゃべりをする風景が見られた。
 ・ストーブの小道具いろいろ
 意外と最近まではあっちこっちの学校にまだ石炭ストーブがあって、おじさんが子どものころは「石炭当番」というのがいて、石炭小屋から石炭を運んではストーブの隣りの席に座って石炭をくべていた。「ジョンバ(十能)」、「デレッキ(かぎ)」、「石炭箱」が当番の三点セットで、そのストーブで牛乳を温めたりイモやスルメを焼いて食べた。  
②冬の遊び道具
 ・子ども用そり
 子ども用の遊びそりもたくさんの種類があるが、おじいちゃんやおばあちゃんの子どものころは(おじさんの小さい時もまだあった)、サンタさんが乗るような押し手(背)とひじかけの付いたものが一般的で、少しぐらい深い雪でもすべることができた。
 ・スケートのはじまり
 江戸時代の終わりころに箱館にいた商人のブラキストンが始めたと云われ、「ゲロリやそりで坂をすべってはケガ人が出てあぶないので止めるように」と御触書が出ている。そしてお札にもなった留学帰りの「新渡戸博士」のスケートを見本に国内でもスケートが作られるようになり、明治の終わりくらいには子どもたちの間に広まった。昔は下駄スケートや竹スケートなどというものもあり、道路などで雪スケートをした。
 ・スキーの始まり
 北海道のスキーの始まりは明治41年に札幌農学校の「コラー先生」がスイスからスキーを取寄せたのが始まりで、のちにオーストリアの「レルヒ少佐」(日本で最初にスキーをしたひと)が旭川の軍隊で教えたりしたが、このころのスキーにはストックが1本しかなかった。北海道では古くはツバメ印の「ツバメスキー」が有名。                                        (上藻別駅逓所・鴻之舞資料館)

③冬のはきもの
 ・わらぐつとゴム長
 昔は雪が深いときは「カンジキ」を使い、また、わらで作った長ぐつ、「深わらぐつ」をはいたりした。ゴム長ぐつは明治からあったが、一般のひとがはくようになったのが大正になってからで、北海道では今もある小樽の「三馬ゴム」が有名(大正8年創業)。しかし昔のゴム長ぐつはすべって歩きづらく、仕事の時やたくさん歩くときは「つま子」と云うわらのくつをはいたりしていた。明治の後半ころから都会では丈の高い「雪げた」が使われるようになり、げたの歯にはつめがついていた。

                    (置戸町史)             (置戸町郷土資料館)




 大正時代にズックくつにゴム底をはった「防寒ボッコ靴」「開墾靴」として東北から樺太まで広く通販されて、使い安いとたいへんに人気があった置戸町の「大矢ボッコ」。ゴム底は「北海道護謨」、のちの「三馬ゴム」のものが使われた。

第5回郷土の暮らしと遊び

北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

Posted by 釣山 史 at 21:13Comments(0)子育て・子どもの学習