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2009年09月26日

にわか「鉄」の巻2

~爽快なトロッコ軌道・旧美幸線

◆未成・美幸線
 宗谷本線の美深駅からオホーツク沿岸の枝幸町を結ぼうと建設された「美幸線」は、昭和39年には峠下の「仁宇布」まで開通し、また、北見枝幸 ~歌登間も、ほぼ路盤の完成を見ていたが同55年の国鉄再建法の成立によって、その後の工事は凍結された。
 もともと山深い仁宇布駅は数十戸程度の小さな集落で、全線が開通してこその未成線は、以後は「日本一の赤字ローカル線」として全国に知られることになり、昭和60年9月16日についに廃線となった。
◆トロッコ王国
 平成10年に住民有志によって開国された「トロッコ王国」は、旧仁宇布駅から美深方面へ5km、みどりの中を軽快に転がるトロッコ軌道は、すがすがしい森林浴。
 ・往復10キロ(約40分)、 普通免許要
 ・トロッコ車/3~30人乗りまで各種
 ・運行期間/4月下旬~10月下旬
 ・受付時間/午前9時~午後4時(7/20~8/20は午後5時まで)
 ・入国料金/大人1,200円、小人(小学生)600円
 ・問い合せ/NPO法人トロッコ王国美深
     TEL : 01656-2-1065
     FAX : 01656-2-1090





























遠くに見えるは終点の車止め































第148号 トロッコ王国・旧美幸線     北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/


  

Posted by 釣山 史 at 21:41Comments(0)鉄の部屋(軌道・鉄道)

2009年09月24日

にわか「鉄」の巻1

シルバーウィークの旅1/5
 この9月の連休に「にわか鉄」となり、道東の鉄道資料館を周遊したので紹介する。
 
◆旧国鉄士幌線
 昭和14年に全線が開通し、同53年に廃線となった旧士幌線は、帯広市と十勝三股までの山間を結んだ森林鉄道として知られる。今でも谷と谷との間に点在するコンクリート造りのアーチ橋は、かっての東大雪の開拓と盛んだった林産業の模様を伝える近代産業遺産として、登録有形文化財にも指定されている。


写真左から
・第二音更川陸橋梁(写真は昨秋)
 音更川の断崖にある、天然材とコンクリートが調和した美しい陸橋。
・第三音更川橋梁(写真は昨秋)
 RC造りのアーチ橋としては、道内一の大きさ。渓谷に美しい橋梁として国の登録有形文化財に指定される。
・旧幌加駅と十勝三俣機関庫
 今に残る旧幌加駅のプラットホームと終点の機関庫。
・上士幌町鉄道資料館
 開  館/9:00~16:00
 休館日/月曜日、冬期間(11月~3月)
 入館料/100円






























◆旧JR標津線
 昭和8年に根釧原野を縦断する鉄道として開通し、標茶~根室標津間の本線と中標津~厚床間の支線からなり、平成元年に廃止された。
・別海町鉄道記念公園・鉄道記念館(旧西春別駅跡)
 開  館/9:00~17:00
 休館日/月曜日(祝日の場合は翌日)、12月18日~1月7日
 入館料/無料
 D51-27蒸気機関車、ディーゼル車、ラッセル車がある。






・中標津町郷土館
 開  館/3月~10月10:00~17:00
      /11月~2月10:00~16:00
 休館日/月曜日、年末年始、祝日の翌日
 入館料/無料















第147号 にわか鉄の部屋     北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/

  

Posted by 釣山 史 at 23:01Comments(0)鉄の部屋(軌道・鉄道)

2009年04月06日

鴻之舞金山の機関車

鴻之舞金山のSLとDL機関車

左・鴻紋軌道/鴻之舞五十年史/昭和43年    右・馬での鉱石の運搬/倶知安内五号坑/北海道工業試験場報告第六拾號/昭和11年 





















 念願であった鴻之舞-紋別間約28㎞の「鴻紋軌道」は、昭和15年10月に着工されて同18年6月にようやく完成を見たが、それは結果、戦時対応のための鉱業所解体の転用資材を運搬するという皮肉なものとなり、それも戦後の昭和24年には廃止された。
 いっぽう昭和30年には鉱業所内の運搬用(輸車路)に新たな軌道が敷設され、鉱石はデイーゼル機関車で製錬所まで運ばれるようになった。
 この「鴻紋軌道」に使用された蒸気機関車は日立製作所笠戸工場製13トンの3両であったが、鴻紋軌道の廃線後の昭和26年9月に協三工業で改造され、十勝上川森林鉄道へ転用されて、同31年6月まで使用の後に廃車となった。
 そして戦後に鉱業所内で使用された協三工業製デイーゼル機関車マイニングロコ3006は、現在、「旧上藻別駅逓所」に展示されており、また、「雨宮21号」の動態保存を実現した丸瀬布の有志達が鴻之舞金山の閉山を聞き、鉱業所に払下げを申し出て、「丸瀬布森林公園いこいの森」にも同3005デイーゼル機関車、人車、鉱車、ミキサー車などが保存されている。


左/旧上藻別駅逓所           右/丸瀬布森林公園いこいの森


第119回 鴻之舞で使われた機関車    北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/

  

Posted by 釣山 史 at 00:26Comments(0)鉄の部屋(軌道・鉄道)

2008年02月29日

大正、渚滑線のはじまり

~紋別を例とした殖民期の鉄道

 この頃の新たな鉄道の敷設には各地での官民あげての期成会の結成と陳情が大きな原動力となったが、ここでは内陸最奥地の渚滑線について述べてみたい。 
 北海道鉄道速成計画図/大正6年
 鉄道と築港 略 実例としての北見は道庁当局の調査によれば網走管内の戸口数は鉄道開通の前後に於て其増加歩合開通前の一割以内に対し開通後は三割弱に達し居り 中略 池田野付牛間鉄道起工の結果利を北見地方に求むる人心の趨向を語るものにして一面生産額増加の趨勢に於ても明治四十四年池田野付牛間鉄道開通の前年即同四十三年より著しく歩合を増加し 中略 鉄道に関する今回の速成計画は鉄道院の計画に係る根室、宗谷、名寄下湧別間の三線を五年丈け繰上げ新に道庁の希望線としての五線を追加し 中略 此鉄道の敷設が殆ど北見集中主義にある事是れなり鉄道院既定計画中の名寄下湧別間は云う迄も莫く北見横貫鉄道と名称すべきものなるが道庁の追加するところの五線中諸(渚)滑サツクル間網走斜里間、美幌相生間は孰も北見線にして他の旭川ルベシベ間亦た北見に向て延伸し聯絡せんとす唯茲に帯広上士幌間が僅かに北見線たらざるのみ去れば今後共拓殖地として道庁が北見に最も重きを置き北見の開拓に努めんとするの方針を有するや疑いを容れず或は今後共北海道の拓殖は北見に在りとするやに認めらる 後略  (北海タイムス/大正5年)

 大正2年に地元の有力者であった岩田宗晴道議が士別-渚滑間の鉄道敷設を提唱したが実現せずにいた。ところが同4年に名寄-湧別間の名寄線敷設運動が起こり、これが有力代議士の支援もあって決定されると、渚滑村では同5年に上興部を経由して札久留、滝上、渚滑に至る路線へ変更するよう全村あげての縦貫鉄道期成会が結成された。

 玆ニ恭シク一書ヲ奉リ
 鐵道院総裁閣下ニ白ス下ニ連署セル吾吾人民ハ名寄下湧別線鐵道予定線路ノ一部變更ヲ行ハレ下渚滑ヨリ渚滑原野ヲ縦貫シ上渚滑ヨリ上藻興部原野ヲ経テ上興部ニ至リ以テ予定線路ニ合スルノ線路ヲ御採用アラン事ヲ請願スルモノニ有 云々  (請願書/大正5年)
 名寄線が全通すると、これにつながる現渚滑線は既定の計画であったが、その分岐点を紋別、渚滑のいずれかにするかで両者の対立が暗流となって渦を巻いた。
当時飯田氏は渚滑駅前に木工場(北見木材KK)を経営しており、その他紋別の有志で渚滑市街に土地を所有する人も多く、中略 名寄線が開通したという事実に幻惑されたというべきか、町の人々は情けないほど冷淡で、飯田への遠慮もあってか、正面切って紋別駅を分岐点と主張する熱意を欠いたことは事実であった。
父はこの点を憂い、時の町長国上国太郎を説き、紋別より二十線道路を通過する新路線を測量し、その比較調査を当局に迫ったが、驚いたことに、これを支援する人々は余りにも少なかった。  (春秋五十年/昭和41年池澤憲一自伝)
 渚滑線開通記念
 このとき滝上の全住民が政友会へ入党し、その入党書を持参して、時の政友会幹部で鉄道院総裁の床次竹次郎へ陳情したと云うエピソードも残っており、期成会の会長には渚滑村長中島繁次郎、副会長に岡本政道のほか滝上側からは宮地勝長、辰田善一郎らが渚滑側は岩田宗晴、飯田嘉吉、奥一道らがいた。
 ここにあるとおり飯田は北見林業界を代表する実力者で手広く木材を商っており、また岩田道議も澱粉製造を行うなど、彼ら自身も内陸滝上との農林産物の輸送は大きな課題であって、実際、流送に頼っていた原木の輸送も渚滑線の開通後には鉄道輸送に切り替えられている。 
                                                               北見大観/昭和9年

 大正7年「網走支庁拓殖概観」には『網走斜里間、美幌相生間、渚滑咲來間の三線は大正十年より起工せらるへきこと〃なれる既定未成線なり 中略 渚滑川流域の原野等豊大なる富源開かれ拓殖の進歩更に著しきものあるへし』とあるも結局は渚滑-滝上間の単独線として、大正12年11月に渚滑線が開通した。
 これによって移民は著しく増加し、また関東大震災後の復興事業によって木材市況が活況を呈したことから原野奥地の開拓は目覚しく進捗した。
                                                  第25回鉄道のお話し

北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/  

Posted by 釣山 史 at 19:25Comments(0)鉄の部屋(軌道・鉄道)