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2012年10月04日

釧路と十勝の戦時遺産の旅 3/3

ちょっと右寄り、太平洋岸、道東に残る戦時遺産の旅 3/3






















































◆大樹町その2 ゆうべは、かけ蕎麦ライスにタコザンギ、鳥の唐揚げとたらふく食っちゃいました。朝風呂は気持ちがイイ、でも次第に霧が…、 さて、トー(トウ)は沼のことで、ホロカ(後戻り)・ヤン(揚がる)・沼とは何のことか? ホロカヤントーは海と繋がることがあり、砂州の後退・沼尻の移動か?、それとも決壊して波が遡ることか? ワカサギの氷上穴釣りで名物だ。道史跡・十勝ホロカヤントー竪穴群は、海岸へとせり出した丘陵がホロカヤントーに面し、擦文文化期の竪穴住居跡が百数十残る約1000年前の遺跡であり、よく整備されていてハッキリした凹部が確認できる。晩成温泉の宿泊施設に遺物の一部が展示されていたので紹介する。 (大樹町)ホロカヤントー竪穴群 晩成温泉宿泊施設に展示されているホロカヤントー遺跡の遺物 大樹町晩成 ホロカヤントー竪穴群 道史跡・十勝ホロカヤントー竪穴群は、温泉近くの海岸へせり出し、沼に面した丘上にある。よく整備されており、凹凸がハッキリ見て取れる。晩成温泉に遺物が展示されている。 大樹町生花 晩成社史跡公園 オイカマナイトーに面した丘上にある。大正4年まで、勉三が暮らした家を再現しており、サイロ跡や室跡がある。 生花苗(オイカマナエと読む)は、オイカ(越える)・オマ(入る)・イ(もの)への当て字。オイカマナイトーは、ホロカヤントーと同じく海と繋がることがあり、波が越えて来るということか。生花苗川(オイカマナイかわ)の上流には、キモン(山)・トー(沼)がある。 さて、晩成社史跡公園は、オイカマナイトーとキモントーの間に位置する。明治16年に下帯広へ入植した依田勉三ら晩成社は、「十勝開拓の祖」と云われ、同19年には、生花・晩成地区に牧場を開設し、サイロを用い、バターやチーズを試作するなど先進的な牧畜・酪農を行った。隣町の豊頃町に入った興復社の二宮尊親(尊徳の孫)とも交流があった。「マルセイバタ」は、六花亭のお菓子として、なお、引き継がれている。 再現された依田勉三の家 室の跡 ゆかりの生花神社 2日目 宿⇒ホロカヤントー⇒生花⇒浜大樹⇒石坂⇒大樹市街⇒中札内⇒音更⇒芽登⇒温根湯⇒遠軽⇒紋別帰着 浜大樹トーチカへ走る。内陸部は何とかなっても、沿岸部の霧は深い。視界が利かないなか霧の切れ間 々 を探し歩き、ようやく1基を発見した。写真撮影はきびしく、やむなくこれ以上の探索はあきらめ、郷土資料館へ向かうことにする。 霧にむせぶ浜大樹港近くのトーチカ 大樹町浜大樹 浜大樹トーチカ 旭浜と同じく、浜大樹にも数基のトーチカが現存する。この日は濃霧のため、視界が利かず、1基の確認にとどまった。 樹町石坂 大樹町郷土資料館 旧校舎を利用することで、地域の中心であった学校が残った。手に取ってさわれるむき出しの展示がかえって良い。そして丁寧な解説。 大樹町郷土資料館(旧石坂小学校)  昔は2人掛けのイスだった丁寧な解説がうれしい 平成22年に開設した大樹町郷土資料館は、旧校舎を利用することで、地域の中心にあった学校を活きた形で残す。昔の道具が解説を添えて細かに紹介されており、直に手に触れ感じることが出来る。町民の協力もあったのだろう、町教委の熱意ある課長さんが、長年に渡って調査・収集したのだと云う。しかし、その課長さんが退職されると、もはや閉館がささやかれているという。お金が無くなると心も貧しくなってしまうのか。 さて、この二宮尊徳像だが、陶製の戦時代用品である。皇紀二千六百年に寄贈されたが供出となり、戦後に至って陶製像となって帰ってきた。 大樹町柏林公園の9600型59611号 道の駅なかさつない 昭和27年建築の旧農林省馬鈴薯原原種農場事務所を移築し豆資料館とした 大正8年建築の農家住宅、富山独特のワクノウチ造り、若干の資料展示も それにしても、暑いあつい、内陸部に入って季節外れにとっても熱い。途中、寄り道し、SLと古建築を見学しながら帰路につく。オシマイ
































第314回  太平洋岸、右寄りの旅3           北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

2012年09月29日

釧路と十勝の戦時遺産の旅 2/3

ちょっと右寄り、太平洋岸、道東に残る戦時遺産の旅 2/3





















































ああああ



白糠町公民館図書室(上茶路遺跡の遺物)  ◆浦幌町、豊頃町 国道38号線沿いのJR直別駅から道道直別共栄線を通って海岸へ出たところ、白糠丘陵が舌状に浜へせり出した国史跡のオタフンベチャシ跡がある。オタ・フンベとはアイヌ語で砂・クジラの意。壕で囲まれたチャシは古記録にも表われ、道内各地に残る「寄りクジラ」伝説に関係する砦跡だ。 ・道内に残る「寄りクジラ」伝説 アイヌ人の戦い(一方がオロッコの場合もある)において、夜間に砂でクジラ型の小山を作り、そこに魚を置いた。翌朝、群がる海鳥を見て、クジラが打ち上がったと思い、喜び勇んで無防備に砦から出て来た敵方を待ち伏せにして不意打ちにしたという…、ほかに枝幸や知床のウトロなどに同様の伝説がある。 (浦幌町) オタフンベチャシ跡 (豊頃町)トイトッキのトーチカ 浦幌町に入った辺りからお天道様がてかてかと照り出した。ようやくガス体を抜けたらしい。気持ちがイイくらいの真っ青な空である。共栄の三叉路で、ゆでとうきびを買う。とっても美味しゅうございます。 さて、十勝川と浦幌十勝川の間に位置する北海道指定文化財・大津海岸トイトッキ浜野生植物群落にあるトイトッキトーチカ。比較的大型であり、複雑なつくりである。保存状態は良い。 浦幌町直別 オタフンベチャシ跡 JR直別駅を過ぎ、道道直別共栄線で海岸線に入ったところ。厚岸アイヌ(北見アイヌとも)が白糠アイヌを攻めたときの白糠軍の砦跡だという。 浦幌町字桜町 浦幌町文化会館 時間が足りません。立ち寄らず。 国道336号、豊頃町大津海岸 トイトッキトーチカ 旧十勝川河口東岸にあり。妙にお社とコラボしている。中には入れなかったが、比較的大きく封雑なつくりのよう。指揮所跡か? 大樹町旭浜 旭浜トーチカ群 旭浜漁港から歴舟川方面の海岸にかけて列をなすトーチカ群は壮観だ。大樹町ではトーチカ・マップを作成しており、参考にして欲しい。現存15カ所を全て回るには、かなりの覚悟が必要だ。 ◆大樹町その1 大樹町では、15カ所でトーチカが確認できるという。戦後も約70年を経て、最近ようやく、この手のものに対するアレルギーも薄まり、観光が目的ではあっても、これらを歴史遺産として保存しようとする動きが見られるようになって来た。大樹町や広尾町などでは、周辺整備を行うなど、積極的に活用しようとしている。 はるかに続く旭浜トーチカ群は有名であり、予報外れの好天のなか、腰痛持ちには起伏のある砂利浜の歩みはきつく、4つの見学(内陸部の1カ所と合わせて5カ所)で精いっぱいでした。とにかく暑かった~、はるかに続くトーチカの列 (大樹町)旭浜のトーチカ群 温泉 宿泊施設 開湯は昭和55年という、比較的、新しい晩成温泉は、ホロカヤントーや生花苗沼などがある原生花園の中に位置し、夏のキャンプや秋のサケ釣りで知られている。 当初は、ナトリュウム塩泉をうたっていたが、平成16年の産業技術総合研究所の調査により、ヨウ素を高濃度に含有する国内でも稀な温泉であることが分かった。とても体が温まる。笹原に海岸にと探索し、切り傷、虫刺されも沁みないとってもマッタリの良い湯です。レストラン、休憩室を完備。別棟の宿初施設は、朝食に軽食がついてナント一泊3千円です。 ○泉 質:ナトリウム塩化物泉、pH7.8、ヨウ素イオン12.2ppmを含む ○源 泉:18.0℃、湧出 310L/分 *加温、濾過、循環式 ○営 業:(日帰り)10時00分から21時30分まで ○休 館:4月~9月は第2・4火曜日、10月~3月は毎週火曜日 ○料 金:大 人500円、中学生300円、小学生200円 ○問い合わせ:℡01558-7-8161/Fax01558-7-8160 ・晩成温泉宿泊施設「原生花園」 ○宿泊料金:高校生以上3,000円、中学生2,000円、小学生2,000円 ○食事:夕食は温泉施設の食堂を利用、朝食はトーストセットが込みこみ。













第313回  太平洋岸、右寄りの旅2           北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

2012年09月23日

釧路と十勝の戦時遺産の旅 1/3





















































あああちょっと右寄り、太平洋岸、道東に残る戦時遺産の旅 1/3 9月15日金曜、仕事を終え、夕6時過ぎに自宅を出立、明後日は天気が崩れるとの予報から、明日中にできる限り回らなければならない。この数年、奉安殿や教育勅語謄本の現存調査を続けており、今回、ある方が私のブログを見て、白糠にも奉安殿があると教えて頂いたので、まずはこれの探索と昭和33年に建築された旧音別町役場庁舎の確認が目的ある。 北海道建築士会から協力依頼を受けた戦後間もない頃の非木造建築物とは、戦後の昭和25年5月に建築基準法が制定され、その最初期の工法によるRC造りを調査しようとするもので、その現存確認の予備調査である。良質なものは、次世代の文化財候補ともなろう。そうして後はオマケでトーチカを・・・、 さて、ほとんど信号につかまらず遠軽市街を通過する。快調。その勢いで、途中、北見での休憩予定を変更していっきに美幌へ走る。美幌温泉は、夜は10時までの営業だ。10時少々前には温泉を出た。ア~あんのん快適。ところが峠下にかかるころから次第に霧が強くなり、ワイパーが必要なくらいの濃霧に濡れて視界が全く遮断される。道の駅の駐車場へ避難した。駐車場の出入口でさえ確認が困難である。車中で就寝。 1日目 紋別⇒美幌温泉峠の湯⇒美幌峠⇒釧路町⇒釧路市⇒白糠⇒音別⇒浦幌⇒豊頃⇒大樹旭浜⇒大樹晩成温泉(宿) (釧路町) 昭和6年竣工の岩保木水門  (釧路市) 新大楽毛のトーチカ すずらん団地のトーチカ ◆釧路町、釧路市 翌朝5時に起床、未だ激しい濃霧であるが、日の光を頼りに出発する。まずは釧路町の岩保木水門へ向かったが湿原に霧が広がり、しばらく待機したのちに激写!! 大幅な時間ロスである。 岩保木水門は昭和6年に竣工したレトロ調の木造上屋が特徴。洪水防止と木材流送のための堰が目的であったが、釧網本線が開通したため、一度も開門していないという。すでに供用は廃止され、湿原のオブジェと化している。美しい。 ここからチョッと右寄り、いやいや、だいぶ右寄りの戦時遺産巡りが始まる。釧路市大楽毛へ走る。 大楽毛では町内をグルグルっと回り、戻ったところに新大楽毛トーチカを発見、な~んだJR新大楽毛駅のすぐ裏手でした。それにしてもカモフラージュが残るトーチカは、痛みが激しい。つづいて同じく大楽毛地区のJR阿寒川橋梁へ向かう。地図の通りに行けない、イタドリが繁茂して視界が利かない…。あっちに行ったり、こっちに行ったり、う~む、残念ながら断念する。はてさて、仕方がなくすずらん団地トーチカへ。新道をくぐり、大楽毛西通ですずらん団地方面に行くと意外と簡単に発見できた。小高い丘にあるトーチカは、保存状態が極めて良い。 (釧路市)すずらん団地トーチカ 釧路町国道391号、JR遠矢駅から新釧路川へ 岩保木水門 濃霧で視界不良、しばらく様子見。釣りとカヌーツーリングで有名らしい。水門は、上部構造がレトロで趣のある木造造り、扉が2門ある。大正9年の釧路川の大洪水を契機に昭和6年に竣工した。目的に木材流送があったが、運搬が鉄道に転化され、一度も開門されないまま、供用を終了した。 釧路市の新大楽毛駅海側の住宅街 新大楽毛トーチカ 大楽毛南町内をグルリッと回って、な~んだ新大楽毛駅のすぐ真裏でした。おつむにカモフラージュが残るトーチカは、劣化が著しい。 釧路市大楽毛5丁目、JR阿寒川橋梁の西側  阿寒川橋梁トーチカ 道路が地図と違う、背の高いイタドリが繁茂して視界が利かない。分かりやすいと思ったが、発見できずに無念。 釧路市すずらん団地 すずらん団地トーチカ 国道38号線から新道をくぐり、大楽毛西通で釧白工業団地の山手へ向かう。意外と簡単に小高い丘に発見した。土砂が流入していて内部には入れなかったが、保存状況は非常に良く、コンクリートの質が高いのではないか。 旧泊別小の奉安殿 ◆白糠町、旧音別町 旧音別町役場庁舎 限界集落で目標物も無いなか、丘の上の小さな旧校舎は木々に隠れて非常に分かりにくい。旧泊別小学校奉安殿は、学校敷地に連続した木立ちにまぎれ、ひっそりとたたずんでいる。以前は集落のお社として利用されたようだが、今は、使われずに朽ち果てるのを待つのみである。周辺を行ったり来たりと往復して多くの時間を費やしてしまい、白糠町郷土資料室の見学は取止めとした。 現在は釧路市の音別町行政センター(旧役場庁舎)は、戦後間もない頃に出来た建築基準法にもとづく1950年代らしいデザインのRC建築物だ。あ~なるほどの窓のとり方に2Fのバルコニーが特徴的で、一部3階は望楼か? 写真を写していると“ナニ、撮ってんだ!”と怒鳴られ、公共物の写真を撮って何が悪い!! ぷんぷん。さっそく知人の建築士に送らなきゃ。 白糠町泊別 旧泊別小学校奉安殿 釧白工業団地浄水場の近く。限界集落のなか、閉校後35年を過ぎてもはや看板もない。小山の林間に隠れた小さな旧校舎は非常に分かりにくく、その前を行ったり来たりと多くの時間を費やしてしまった。奉安電は学校敷地に接続する木立ちの中にあり、いっそう発見を難しくしている。戦後は集落の神社として利用されていたようだ。 白糠町東3条南1丁目 白糠町郷土資料室 時間がない、スルーしちゃいました。 釧路市音別町 旧音別町役場庁舎(音別町行政センター)  国道38号線沿いに建つ昭和33年建築のRC造り。窓のとり方に1950年代らしさが残り、バルコニーや望楼?は特徴的。間もなく取り壊される予定。























第312回  太平洋岸、右寄りの旅1           北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

2012年09月11日

佐呂間町の奉安殿




旧仁倉小学校の奉安殿(佐呂間町) 仁倉八幡神社で天照皇太神を祀る旧奉安殿。 近くには、オホーツク沿岸で初めて発見された、縄文早期の竪穴住居跡がある。






































第311回  佐呂間町仁倉の奉安殿          北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

2012年09月03日

(更新)北海道の奉安殿

北海道に現存している奉安殿の一覧



北海道の現存する奉安殿(2012年8月現在で確認) 紋別市上渚滑町/上和訓辺 紋別市渚滑町宇津々/八幡宮 紋別市渚滑町/市街地 紋別市鴻之舞/旧喜楽町 湧別町上湧別/中湧別神社 遠軽町生田原/旧清里小学校隣接地 小清水町/小清水神社 名寄市風連町/東風連神社 士別市/士別市博物館所蔵 上富良野/東中神社 中標津町上標津/上標津神社 別海町/柏野会館隣接地 釧路市春採/春採神社跡地 釧路市桜田/桜田神社 鶴居村茂雪裡 弟子屈町/仁多 弟子屈町/友札内 弟子屈町市街/郷土資料収蔵庫てしかがの蔵 日高朝/錠教寺 平取町ニ風谷/萱野茂資料館 鹿追町/北鹿追 札幌市/琴似神社 江別市/江別小隣接地 石狩市花川/了恵寺 浦臼町鶴沼/金剛寺 浦臼町鶴沼/真宗寺 芦別市/常磐小隣接地 芦別市新城/正信寺芦別市/芦別神社 稚内市/上声問神社 函館市/護国神社 赤井川村/轟鉱山跡 むかわ町/春日神社 室蘭市/民俗資料館 旭川市/北鎮記念館蔵 鹿追町/旧北鹿追小学校 奉安用御筥 教育勅語謄本(明治型)  津別町/旧本岐国民学校の勅語謄本 ◆近年、解体された奉安殿 報徳神社 美幌町 H21年取り壊し 和琴神社 弟子屈町 H21年取り壊し 御園神社 喜茂別町 H22年取り壊し 春日神社 むかわ町 H18年改修 ◆その他の勅語謄本を保管する施設 北海道開拓記念館 札幌市厚別区 了恵寺 石狩市花川 小平町郷土資料館 小平町鬼鹿 郷土資料収蔵庫てしかがの蔵 弟子屈町 釧路市立博物館 釧路市 せたな 町瀬棚郷土館 せたな町 勅語謄本7カ所、確認 ◆その他の現存する奉安殿 札幌市 藤女学校 奉安殿33棟、確認













































第309回  北海道に現存する奉安殿一覧          北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

2012年08月30日

芦別の奉安殿2

芦別の新城小学校にあった奉安殿は、正信寺の境内に移転されて現存します。


















第308回  芦別市新城の奉安殿          北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

2012年08月25日

旧海軍高射砲と機雷


津別町の旧忠魂碑 ~旧日本海軍の高射砲と機雷 荒木 貞夫 陸軍大将で、陸相・文相。陸軍皇道派の首魁。中将時代に陸軍大学校長を務め、青年将校に圧倒的な人気があったが、昭和11年の2.26事件後の粛清によって予備役となる。第一次近衛内閣・平沼内閣では文部大臣。 昭和14年、平沼内閣は国民精神総動員委員会を設置、荒木が委員長に就任すると皇道教育を推し進め、思想的な戦時体制を作り上げた。 戦後、A級戦犯となり終身刑となったが昭和30年に仮出所、以後、全国を講演するなど積極的に活動した。昭和41年没。 昭和8年9月19日起案 官房第四四一三号 昭和八年十月五日 大臣 横鎮長官宛 廃兵器無償下付ノ件訓令 横須賀海軍軍需部保管ノ左記廃兵器ヲ付記ノ者ニ無償下付方取計フベシ 但シ現品搬出ニ要スル費用ハ下付ヲ受クル者ノ負担トス 記 以上 一、浮標水雷缶 一個 一、十二センチメートル弾丸 二個  四十五口径十二センチメートル一号徹甲弾 右ハ北海道網走郡津別村忠魂碑前備付品トシテ同村長内藤周平外一名ニ対シ下付 (了) 官房第四四一三号ノ二 昭和八年十月五日発布済 昭和八年十月五日 海軍省副官 北海道網走郡津別村村長 内藤周平 アジア歴史資料センター










































第307回  津別の忠魂碑          北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

2011年09月27日

芦別の奉安殿


芦別の奉安殿、ふたつ 芦別小学校の旧奉安殿は、芦別神社へ移設されて水神さんを祭っている。 常磐小学校の旧奉安殿は、今も学校近くに馬頭観音堂として残る。 これらの奉安殿は、ふたつとも材質がコンクリート造りであり、外観も非常に似ている。特に、ともに向拝柱を用い、同色の鉄扉に金庫様のダイヤルを配している。ダイヤル扉は、他に見られない非常にめずらしいもの。





















































第277回 芦別市に残る奉安殿         北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/



  

2011年09月22日

浦臼の奉安殿2

鶴沼の奉安殿2

 以前に同地区にある金剛寺に移設された奉安殿は確認していたが、同じ鶴沼の真宗寺のものは見逃していた。
 住職に確認したところ、詳しいことは判らないが、浦臼にあった奉安殿に間違いないとのこと。浦臼小学校のものか?瓦葺き煉瓦造りの美しいもので、威厳がある。















































第276回 鶴沼の奉安殿2         北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

2011年09月19日

赤井川の奉安殿

轟鉱山跡の奉安殿
 明治29年に発見された赤井川村の轟鉱山は、鴻之舞鉱山が発見されるまでは、北海道随一の金鉱であった。同31年から北海道鉱山(株)が、明治39年には田中鉱業㈱が買収し、もっぱら金を多産した。戦時の一時休山を経て戦後に再開、その後も休山と再開を繰り返して昭和62年が最後となった。
 旧轟小学校の奉安殿は、荒れ果てた野に朽ちるのをタダ待つばかり。ダーティーロードなれど、普通車で通行可。ただし、途中、立ち入り禁止の看板あり。

































第275回 金山跡の奉安殿         北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/  

2011年08月30日

旧日本軍飛行場

本部の建物は旧海軍隊舎のまま
陸上自衛隊第5旅団第6普通科連隊 美幌駐屯地 昭和15年の美幌に96式陸上攻撃機約40機、隊員約2,000名の海軍航空隊基地が建設された。戦後は米軍キャンプ地となり、警察予備隊美幌駐屯地を経て現在に至る。現在の駐屯地の建物84棟のうち、27棟は旧海軍が使用していたもので、火薬庫の跡や米軍ハウスなども残っている。 本部隊舎 当時のままの玄関ドア 大理石の階段 約250mもある雪中廊下 夜間戦闘機・月光(左)と一式陸上攻撃機(右)のタイヤ 代用陶製の手榴弾 天皇陛下の御真影 資料館・北辰館



























第268回 旧軍遺産・美幌駐屯地          北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/  

2011年07月30日

稚内の奉安殿

上声問神社の奉安殿 か?
 限界集落であり、周辺に民家もないところでの調査は非常に難しい。
 戦後、GHQによって学校からの撤去が命じられ、また、皇国教育の象徴は、長く教育会でタブーとされたため、小学校や集落の記念誌にも、記録が残っていないことが多い。
 終戦から65年を経て、「奉安殿」という言葉は、既に死語となり、相当の高齢者でなければ、知っていない現状にある。

 上声問神社にある御堂についても、文献等はなく、詳しいこと、ハッキリしたことは分からないが、ただ、『戦後に奉安殿を移設したときに観音さんを入れたと聞いたことがある』との情報もあり、以下の特徴を鑑みて、「奉安殿」であると判断した。

 ご協力を頂いた稚内市立図書館さんに感謝!!



奉安殿の特徴、見分け方 ~疑似、神社・社様式。社のようでそうでない。 屋根~必須、瓦またはトタンであること。 壁材等~多くは石材かコンクリート、あるいはトタン、まれに木製。つまり燃えづらいもの。 扉~観音開き、多くが鉄扉。 施錠~必須、鉄の錠、多くが鉄カンヌキ。 通風孔~必須、2個以上の風通しがあること。 しっかりした土台がない、神社、社様式でない。特に地面に直置きの場合は可能性が高い。移設したと思われる。






























第260回 稚内の奉安殿          北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

2011年07月12日

函館の奉安殿

奉安殿調査は続く…

 函館護国神社(沙羅の月の駐車場のところ)にある奉安殿は後ろ前。石の囲いの出入り側に「奉安殿」とあっても、その裏側に扉の跡がある。
 観音扉があったであろう上部には2つの通風孔があり、奉安殿には必ず通風孔を設けるように義務付けられていたので、これが単なるお社か、奉安殿かの区別の目安のひとつとなる。




















第255回 函館の奉安殿         北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/  

2011年05月05日

北海道の奉安殿と勅語謄本(更新)

更新・奉安殿と教育勅語の現存調査(経過報告)

 2011年5月現在で、奉安殿は全道の26カ所(うち1カ所は奉安庫)を現認したほか、情報が3カ所あり、教育勅語謄本は、6カ所での保存を確認している。
 また、ここ数年間で解体された奉安殿も多く、特に村落、限界集落での維持保存がむずかしいことが分かる。
北海道の現存する奉安殿 紋別市上渚滑町/上和訓辺 紋別市渚滑町宇津々/八幡宮 紋別市渚滑町/市街地 紋別市鴻之舞/旧喜楽町 湧別町上湧別/中湧別神社 遠軽町生田原/旧清里小学校隣接地 小清水町/小清水神社 名寄市風連町/東風連神社 士別市/士別市博物館所蔵 上富良野/東中神社 中標津町上標津/上標津神社 別海町/柏野会館隣接地 釧路市春採/春採神社跡地 釧路市桜田/桜田神社 鶴居村茂雪裡 弟子屈町/仁多 弟子屈町/友札内 弟子屈町市街/郷土資料収蔵庫てしかがの蔵 日高朝/錠教寺 平取町ニ風谷/萱野茂資料館 鹿追町/北鹿追 札幌市/琴似神社 江別市/江別小隣接地 石狩市花川/了恵寺 浦臼町鶴沼/金剛寺 教育勅語謄本/せたな町/瀬棚郷土館蔵 収納箱/旭川市/北鎮記念館蔵 北海道開拓記念館/札幌市厚別区 了恵寺/石狩市花川 小平町郷土資料館/小平町鬼鹿 郷土資料収蔵庫てしかがの蔵/弟子屈町 釧路市立博物館/釧路市 護国神社/函館市 藤女学校/札幌市 轟鉱山跡/赤井川村 春日神社/むかわ町 室蘭市民俗資料館/室蘭市/奉安庫 喜茂別町/御園神社 奉安殿 奉置所






































































第243回 現存する道内の奉安殿    北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/  

2011年03月22日

代用品の金次郎

忍びがたきをしのび、耐えがたきをたえ
~日本の復興を二宮金次郎に学ぼう

◆二宮金次郎(尊徳)の像
 道徳を尊び、経営実学を実践した「二宮尊徳」の報徳思想は、勤労(単に勤勉なのではなく、社会に役立つこと)、分度(将来に向けての余剰を図ること)、推譲(分度の余剰を拠出し、相互扶助、ひいては国づくりのためとすること)の3点を基本理念とし、私利私欲が無い社会貢献は、いづれ自らに返ってくると説いたことから、戦前は、勤勉実直、質素倹約の模範として、また、国のため、国家主義の象徴として利用されたりもし、各地の小学校などに銅像が建立された。
 弟子屈町の高齢者が今に語るところ、『わたしの集落の小学校にも、昔は二宮金次郎の銅像があった。それはオジが戦死していただいた死亡一時金を、遺族が国への奉公の証しとして、地域に還元しようと建設したのであったが、やがてそれまでもが供出されてしまい、ひどい時代であった。』と云う。
 ここの昭和19年に建設された旧北鹿追小学校の二宮金次郎像は陶製で、いわゆる当時の「代用品」が現存するめづらしいもの。
◆戦時の代用品
 環太平洋の「ABCDライン」による経済封鎖から太平洋戦争に突入して、それが激戦化、長期化すると資源のない日本国内は、あらゆる物資が不足した。
 特に金属製品は、お寺の鐘や銅像はもちろん、日用品までもが「供出」され、兵器さえもが木製や陶製の「代用品」に置き替えられて行く。それは木製戦闘機や1銭陶貨、10銭陶貨などが良く知られており、陶製のくぎ、ボルトとナット、陶製手榴弾、陶製地雷などもあった。
 この時代は、特に家庭用品としての陶製品の製作技術が著しく発達し、缶詰、フォーク、ナイフ、栓抜、羽釜、ガスコンロ、湯たんぽ、水筒、アイロン、学生服ボタン等々、陶製の鏡もちが登場して、神社で使われたりもした。








第231回 復興に向け、ガンバレ日本        北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

2011年01月05日

鵡川町の奉安殿

続報、日高の奉安殿2

 春日小学校の奉安殿は、終戦後の昭和21年に隣地に移転され、神社へと転用された。しかし、老朽化が進んだため、平成18年には取り壊されて、新たな社殿が建立され、そして内陣の扉には、今でも当時の観音扉を使用している。














































































 第223回 むかわ町の奉安殿      北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/  

2010年10月17日

網走のトーチカ2

帽子岩のトーチカ
 網走港の入り口、帽子岩にあるトーチカ跡。側壁に「昭和十九年七月 北部五二四一部隊」とあるらしいが、落石と風化による傷みが著しく、天井は陥没して、もはや中を確認することは出来ず、近づくのも危険である。網走市内には、8箇所があると云う。








































第211回 北海道内のトーチカ      北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/


  

2010年10月04日

北海道の奉安殿一覧

継続中の奉安殿と教育勅語の現存調査(経過報告)


 ~第244回へ更新し、移転します。




第209回 教育勅語と奉安殿      北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/  

2010年09月25日

日高の奉安殿

奉安殿調査、続報

◆二風谷の奉安殿
 二風谷小の旧奉安殿は、二風谷アイヌ文化資料館に仮置きされている。移転の際に基礎から取り外されて、傷みが著しい。皇国公民のシンボルである奉安殿は、ヤマト人(和人)のアイヌ民族支配の象徴で『恨み』の表れでもあると、故萱野茂さんが語っていたという。現館長の萱野志朗さん談。
















◆日高町浄教寺のお堂
 日高小の旧奉安殿は、真向かいにあるお寺に移転して、お堂として利用されている。住職によると、いつに建設されたかも記録になく、もはや詳しいことは分からないという。
















第207回 アイヌ人の里の奉安殿      北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/  

2010年08月22日

せたなの勅語類いろいろ

勅語謄本あれこれ

 平成22年度の北海道文化財保護協会文化財散歩では、日本で最初の女医で知られる荻野吟子さんを紹介する「瀬棚郷土館」に立ち寄りました。でもでも、一番、私の興味を引いたのは、戦後に残っているのがたいへん珍しい勅語・詔勅類であり、複数の種類が展示されているのを初めて見ました(ずいぶん前に見学に行ったときは、一番奥の小部屋なので、気がつかないでいた)。
 戦中・戦前に、奉安殿(奉置所)にうやうやしく安置されていた天皇・皇后の御眞影や教育勅語は、良く知られていますが、そのほかの勅語、詔勅類とは、いったいどのようなものがあったのでしょうか?
 それには、・戊辰詔勅 ・教育ニ関スル御沙汰書 ・国民精神作興ニ関スル詔書 ・教育ノ任ニ或ル者ニ賜リタル勅語 ・全国小学校教育ニ下シ給ヘル勅語 ・青少年学徒ニ賜リタル勅語
などがあり、郷土館には、このうち3点が展示されています。
















第200回 朕惟フニ     北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/







例)紋別市渚滑小学校の旧奉安殿

















同内部の奉安庫

















  

2010年08月08日

廃墟、稚内の旧軍施設

稚内の戦時遺産

 終戦記念日にほど近い、この7日に、宗谷海峡にのぞむ旧日本軍の施設巡りをしました。

大岬旧海軍望楼
 日露関係が悪化した明治35年に宗谷岬に建設され、日露戦争では、当時、最強と云われたバルチック艦隊の監視に当った。2年後には無線通信所となり、太平洋戦争では潜水艦を監視した。稚内市で最古の歴史的建造物で、昭和43年に市有形文化財に指定される。


















旧陸軍砲台指揮所
 昭和16年に砲台が竣工し、海軍望楼の背面に位置する。カノン砲4門が配備された鉄筋コンクリート造2階建の建造物は、比較的に保存状態が良く、周辺にはトーチカも点在する。歴史的建造物。







旧大湊海軍通信隊稚内派遣隊幕別送信所
 昭和6年に送信所として建設されたレンガ造りの送信施設と隊舎、倉庫が残る。当時は、アンンテナがそそり立っていたと云う。
 太平洋戦争では、敷地面積6haに一個中隊が配備され、大本営と最前線を中継した重要施設であった。


送信所庁舎1、2              隊舎1、2                        倉庫










第196回 旧陸海軍施設を探検      北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/









  

2010年07月11日

釧路の奉安殿

つづいてます奉安殿の探索!!

~旧湖畔小学校の奉安殿
 コンクリート造りの極めて標準的な奉安殿は、旧公園敷地で管理されずに放置されている。
 うっそうとした雑木林の急斜面に立つ、荒れ果てた奉安殿には、もはや通じる道すらも無い。
 市街地にあっても発見は非常に困難。春採7丁目の春採神社跡地に隣接。

~旧湯波内小学校の奉安殿
 桜田神社に併設する秋葉神社として使用されており、保存状態は良い。
 一見、特徴のないコンクリート造りと思いきや、鬼板(?)が「天」の字という、おもしろいもの。旧桜田小学校に隣接。

~鳥取神社
 あらためて訪問してお聞きしたが、これは奉安殿ではなく、もちろん、学校から移設されたものでもないとの回答であった。


旧湖畔小学校の奉安殿(春採)





























旧湯波内小学校の奉安殿(桜田)





























第192回 釧路市内の奉安殿、鳥取神社はちがう?     北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/



  

2010年06月27日

上富良野と鹿追の奉安殿

続くつづく現認調査
 東中と北鹿追の奉安殿

◆東中小学校/上富良野町
 総オンコ造りの純和風、道内で唯一、文化財に指定される東中神社の奉安殿は、東中小学校の焼失による2代目の奉安殿であり、後に石造りの堅固なものが建造され、熊野権現を祭る社に転用されて残ったものである。大正4年の建造、昭和48年に町指定文化財となる。
◆北鹿追小学校/鹿追町
 とにかく分かりづらい。総トタン張りの小さなもので、現在は観音堂として利用されており、数をこなしていないと一見では、分からない。
 集落を訪ね歩いたが知る者はなく、とにかく回りまわって発見した。周辺が整備されていることから管理はされていても奉安殿であったということが忘れ去られてしまっているのだ。鹿追4号線沿い、7条川橋が目じるし。













(東中小奉安殿)
















(北鹿追小奉安殿)
 















第188回 文化財となった奉安殿    北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

2010年06月09日

札幌周辺の奉安殿

続くつづく、現認調査!!

 最近は高速交通網の発達から便利に成りすぎ、チョッと寄り道や、のんびり車窓からの眺めを楽しむなどは少なくなりました。今回、札幌への長旅も高速道路を下りての道のり、新たな発見がありました。
 平成18年に設立したばかりの「北海道八十八ヶ所霊場」のひとつの第十一番札所・金剛寺の境内に見とめた御堂が、あの独特の色づかいに形は、もしやと思い訊ねたところ鶴沼小学校の奉安殿であったことを確認しました。それにしても直近に神社があるのにお寺へ移設とは・・・。


 (左)こちらは良く知られている琴似神社の奉安殿。義務付けられていた通風孔が小窓になっているめづらしい例。

 (下)石狩市の了恵寺にある南線小学校の奉安殿は、まったく飾り気のない木造で、私が現認したものでは一番小さい。
 
 第184号  札幌近くの奉安殿    北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/









  

2010年05月12日

鶴居村の奉安殿

さらに続く奉安殿の探索
 ~大型連休の旅 2/6









ヤチ坊主の湿地帯

















◆鶴居村の奉安殿
~茂雪裡集落のはずれにたたずむ、旧茂雪裡小学校のものと思われる奉安殿。一時はお社として利用されたらしいが、中には昭和32・3年ごろの額が残されており、そのまま、放置されて痛みは著しい。ヤチ坊主に囲まれた広漠さが、いっそうの郷愁を誘う。入母屋造りの和風を取り入れた和洋折衷、昭和初期のコンクリート建築の特徴を残す。道々1093号沿い。


◆鶴居村軽便鉄道
~旧資料館に展示される廃線時に使用していた機関車と客車
 ・ディーゼル機関車/泰和車輛工業6t
 ・自走客車60人乗り/泰和車輛工業8t
 昭和2年  馬力による殖民軌道の敷設が着工。
 同3年  新富士~中雪裡、下幌呂~上幌呂間が開通。
 同18年  上幌呂~新幌呂間が延長。
 同28年  村営となる。
 同43年  全線廃止。




第177号 鶴居村の歴史旅    北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/

  

2010年05月04日

弟子屈の奉安殿

どんどん続く、奉安殿の探索
~大型連休の旅 1/6

弟子屈町の奉安殿 2010年3月~5月調査 協力:弟子屈町教育委員会 北海道文化財保護協会 釣山 史 昨年(平成21年)、惜しくも屈斜路湖畔の和琴神社として利用されていた1棟が、老朽化のために取り壊されたが、それでも道東の弟子屈町には、現在でも3棟の奉安殿が現存する。昭和に入ってからの奉安殿の多くが、コンクリート造りであるのに対し、弟子屈町の奉安殿は、いづれも木造であり、奉安殿が現存する集落の高齢者が「奉安殿はどれも似たもの」と証言するように、この3棟は、造りがたいへんよく似ている。中心校にあったものを模倣したのか、あるいは施行業者が同じであったか、切妻造り平入りの破風に施された細工と配置される旭日の特徴が一致している。てしかがの蔵(資料館) もともと仁多地区にあったものを、市街地の資料館へ移転して展示したもので、その時に彩色が施された。この資料館には、教育勅語謄本もあるという。仁多地区 ちょうど交換されたかのように、市街にあった奉安殿は、郊外仁多地区の国道243号沿いに移転された。現在は、地区のお社として利用されている。旧札友内小学校跡地 奉安殿は、戦後も移転されずに学校敷地内にあったといい、たぶん内部を改修されて、倉庫として利用されたのだろう。その後の学校の建て直しに際し、若干、移動して国道243号沿いの現在地に至る。
第175号 弟子屈町の現存する奉安殿    北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

2010年04月19日

紋別市内の奉安殿

戦前・戦中の風景/もんべつの奉安殿
  ~紋別に残る4つの御真影奉安殿


 「奉安殿」とは戦前に、「教育に関する勅語(教育勅語)」や天皇・皇后両陛下の「御真影(肖像写真)」などを保管した施設のことで、一般に『御真影奉安殿』とも云われたように、当初は陛下の肖像写真の奉置(保管)を目的としたもので、奉置所、奉安所、奉安庫などとも呼んだ。
 はじめて御真影(天皇としての正式な肖像写真)が撮影されたのは明治5年のことと云い、最初は官公署に下賜配置されたが、明治15年からは東京師範学校ほかの官立(国立)学校へも下賜されるようになる。そして皇民化を強く目指した森有礼が、初代の文部大臣になると、同20年からは、沖縄県尋常師範学校を皮切りに、地方の学校や私学へも下賜され出す。
 そして明治23年に教育勅語が発布され、勅語謄本が御真影とともに広く全国へ下賜されるようになると、北海道では、同年にはじめて御真影が、松前の松城小学校に下賜されて、北海道庁は翌24年に訓令を発令して奉置について規定し、保管の責任者を学校長とした。続いて明治27年には厳粛・厳重に取り扱うよう、あらためて再訓令されたことから、災害などによる破損、滅失を防ぐため、学校敷地内に別棟としての奉安殿が建造されるようになる。
 明治33年には三大節(新年節、紀元節、天長節と後に明治節を加えた四大節)において、学校長が搬出して生徒の御真影への拝礼と教育勅語の奉読が義務付けられ、戦前は天皇の神格化として皇国日本の教育上のシンボルとされたが、こうして御大礼(即位礼)のあった昭和3年以降、特に戦時色が強まる同10年頃から昭和天皇の御真影が田舎の小規模校にも下賜されるようになり、全国で地域の住民の寄付などによって、特に同15年の「皇紀二千六百年」を記念して数多くの奉安殿が建設された。この御真影には、2つのパターンがあったようだ。
 紋別では、明治25年10月に創立の「紋別小学校」が、他地域に比べても早い、同26年7月に教育勅語を奉戴し、翌27年5月には御真影が下賜された。
 敗戦後には、これらの全てが否定されてしまい、昭和20年12月には緊急通知によって、生徒の御真影への拝礼が廃止され、直後の翌21年の元日には『天皇の人間宣言』がなされて、その1月中に御真影の全てが奉還(返納)されてしまい、主を失った奉安殿は、GHQの司令によって、北海道では昭和21年7月23日に学校敷地から撤去するように通達された(取り壊しではなく撤去であった)。そして教育勅語は、衆参議院の議決を経へ昭和23年6月19日に廃止されたが、後処理は不徹底であったのか、北海道内には開拓記念館ほかに数点が現存している。
 さて、平成21年から本格的に探索を開始した現存する「奉安殿」調査であったが、紋別市内に残るは鴻之舞、和訓辺と宇津々の3カ所と思われていたが、

①渚滑市街の雑木林にある住友林業の書庫と聞いていた古い蔵様のものが、あらたに奉安殿であることが確認された。それは水盤や灯篭の跡から戦後はお社として利用され、内部に残されたものからは、やはり書庫としても活用されていたことが分かった。

②同じく旧渚滑村の宇津々集落に残るものは、学校近くの八幡宮の敷地へ移転されて、今もお社として利用されており、保存状況は非常に良い。

③和訓辺では、学校跡の直近に残っているもので、それでも土壇(台)がないので移設されたと考えるが、総トタン張りは珍しく、集落は消滅して管理者がないまま、雑木林に復してしまい、外表面の傷みは著しいが、内部は意外としっかりしている。

④旧鴻之舞の奉安殿は、昭和初期のコンクリート建築を示すモダンなもので、廃鉱から大よそ40年、道路は付け替えられ、雑木林となって、まったく顧みられないまま、もはや崩壊寸前である。さて、戦後、深刻な食糧不足に陥った鴻之舞では、不敬にも、移転後の奉安殿をヤミ米の保管庫として利用したと云い、頑丈なうえ、畏れおおくも畏くも、保管食料に手を掛けた者はいなかったと云う。


第173回 御真影と奉安殿    北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/

  

2010年03月29日

北海道の奉安殿と勅語謄本

まだまだ続く、奉安殿の探索
奉安殿と勅語謄本の現存調査(経過報告)
~関連:第152回 現存する奉安殿(再々)


 昨年から本格的に探索を開始した北海道の「奉安殿」は、この3月末時点で、私の現認が14カ所、確からしい情報が6カ所の計20カ所となり、また、当時は全てが回収されたはずの「教育勅語謄本」も、数点が現存していることが分かったのが、ある資料館には、このたぐいの問い合わせが増えていると云い、ここで経過を報告することにした。その一部は「戦前・戦中の風景/北海道の奉安殿」として北海道文化財保護協会誌に報告し、このブログにも掲載している。
 全道の現存状況にかかる情報提供を、読者の皆さんにお願いする。
 また、昨年(H21年)中に、美幌神社や和琴神社の奉安殿が老朽化のため取り壊されたことは、非常に残念であり、現存地での文化財としての保存活動の高まりを期待する。
                   北海道文化財保護協会・網走地域通信員 釣山 史


上標津神社となった奉安殿
奉安殿、奉安庫、奉置所、紋別市、渚滑町宇津々/八幡宮、和訓辺/旧和訓辺小学校跡 、鴻之舞/旧喜楽町、弟子屈町、弟子屈町資料収蔵庫蔵、札友内、南弟子屈、湧別町、上湧別/中湧別神社、士別市、士別市博物館所蔵、遠軽町生田原、旧清里小学校跡、別海町、柏野会館隣接地、名寄市、風連町/東風連神社、小清水町、小清水神社、中標津町、上標津神社、江別市、 江別小学校隣接地、函館市、護国神社、石狩市、花川/了恵寺、鶴居村、茂雪裡、上富良野町、東中神社、 札幌市、琴似神社、藤女学校、教育勅語謄本、札幌市、北海道開拓記念館所蔵、石狩市、了恵寺、弟子屈町、てしかがの蔵、小平町、資料館所蔵














































第170回 奉安殿と勅語謄本    北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

2009年11月03日

現存するトーチカ

戦時遺構・網走のトーチカ

 トーチカとは円形や方形ほか、コンクリートなどで建設され、機関砲や大砲を備えて強固に防御された陣地のこと。
 時局の悪化に伴う敵の上陸に備えた防御強化のため、広尾から常呂までの道東の海岸線の48カ所に建設が予定され、主に終戦が間近い昭和19年頃に造営されて、この網走管内でも網走を中心に、今でも各地に点在している。
 網走市内には8カ所が現存するというが、ここではうち2カ所を紹介する。



住民の手により構築されたと云う浜藻琴のトーチカ


















小規模ながらも本格的な藻琴(網走原生牧場) のトーチカ
 
















おまけ:常呂港近くにある防空壕跡?(未確認)













第157回 網走のトーチカ     北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/
  

2009年10月14日

現存する奉安殿(再々)

戦前・戦中の風景/北海道の奉安殿(再改訂)
~関連:第170回 北海道の奉安殿と勅語謄本


 ~小清水神社で奉安殿を確認しました 7/14
 ~新たに鴻之舞金山で奉安殿を確認しました 8/29
 ~別海町で確認しました 9/19
 ~弟子屈町でらしきものを見とめました 9/20
 ~名寄市で新たに奉安殿を確認しました 10/12
 ~紋別市和訓辺に新たに確認しました 11/7


道内で最も荘厳で美しいと云われた松城小学校の奉安殿
                  /明治36年殖民広報第十二号
 
















教育勅語



 今年(H21年)の北海道文化財保護協会による江別市での「文化財めぐり」では、楽しみにしていた「奉安殿」が、降雨のために撮影出来ずに残念だった。「奉安殿」とは戦前に、教育勅語や天皇・皇后両陛下の御真影(写真)などを保管した施設のことで、奉置所、奉安所、奉安庫とも呼んだ。
 明治23年に教育勅語が発布され、勅語謄本が御真影とともに全国へ下賜されるようになると、北海道では、同年にはじめて御真影が、松前の松城小学校に下賜されて、北海道庁は翌24年に訓令を発令して、奉置(保管)について規定し、保管の責任者を学校長とした。
 続いて明治27年には厳粛・厳重に取り扱うよう、あらためて再訓令されたことから、災害などによる破損、滅失を防ぐため、特に昭和10年頃からは全国で地域の住民の寄付などにより、学校敷地内に別棟として奉安殿が建造されるようになる。戦前は天皇の神格化として皇国日本の教育上のシンボルとされ、明治33年には三大節(新年節、紀元節、天長節と後に明治節を加えた四大節)において、学校長が搬出して生徒の御真影への拝礼と教育勅語の奉読が義務付けられた。
 敗戦後には、これらが全否定されてしまい、GHQの司令によって北海道では昭和21年7月23日に、奉安殿は学校から撤去し、御真影や教育勅語などは北海道庁へ返納するように通達されて処分されたが、他への転用・移転などして、今でも各地に点在しているようだ(取り壊しではなく撤去であった)。
 この様な経緯から、昔は皆が知る当たり前であったことも、今では判然としなくなり、ここでは私が現認した道内の11カ所(うち写真10カ所)をあげる。そのほか、札幌市の藤女学校と琴似神社、石狩市花川の了恵寺、函館市の護国神社が知られ、上富良野町の東中神社にあるものは町の有形文化財に指定されている。
 さて、江別市に現存する奉安殿は北海道ではめづらしい瓦葺の建造物で、レンガとの組み合わせは特徴的であり、それは屯田兵村の火薬庫から転用されたものであったが、同じく屯田兵村であった湧別町上湧別は大正12年、士別市が終戦直前の建造と云うも、同様の建材を用いて似ているところが面白く、それは明治35年の注意事項に奉安殿の構造が細かく示されていて、屋根は瓦葺またはトタンとするとあったもので、また、江別には今もレンガ工場があり、士別の隣りの名寄市はかっては窯業が栄え、同じく上湧別も同業が盛んだったことによる。
 江別市の奉安殿は小学校隣接地でも、屯田兵の記念物として残り、紋別市渚滑町のものは、近接であっても神社敷地での社への転用であるが、遠軽町生田原のものは学校前に残っていたもので、たいへんレアなケースであるが、それでも土台(壇)がないので移設されたと思われる。
 紋別市鴻之舞と別海町柏野に現存する奉安殿は、昭和初期のコンクリート建築を反映したモダンな造りであり、保存性は高いと思われるが、おしくも一部が崩壊しており、また、弟子屈町のものは余り見られない木造で、『旭日』を配置するなど細部に手の込んだ美しいデザインが良く残されている。
 名寄市風連町では、神社の奥手の内陣として移設されたもので、これは熊野大権現を祭神とする社殿を権現造(八幡造)に見立てて改修したのであろう。同じく神社敷地に建つ小清水町の奉安殿は、それ自体が社殿と云えるくらいの大きなものである。

~追加:紋別市和訓辺の道道の最奥に建つ。集落は消滅し雑木林に復した荒れ地にあり、外表面の痛みは著しいが、内部はしっかりしており、戦後も何かに使われていたらしい。現存を確認したなかでは唯一の総トタン張り。










































































紋別市和訓辺/旧和訓辺小学校隣接地

大正13年の奉安殿の建設を記念した中足寄小学校の記念樹



中湧別、士別市博物館、宇津々八幡宮、旧清里小学校、旧鴻之舞小学校、旧柏野小学校、旧仁多小学校、旧東風連小学校、小清水神社、南線小学校、和訓辺小学校


   第152回 現存する北海道の奉案殿   北海道の歴史,北海道の文化,北海道文化財保護協会,http://turiyamafumi.kitaguni.tv/

   ~子ども達へ伝えたい「北海道の歴史と文化」
     もっと知ろう、残そう郷土の歴史語り

     北海道文化財保護協会
    (Tel&Fax 011-271-4220/Mail Address:bunho@abelia.ocn.ne.jp)へ入ろう!